「古代オリンピック」と「近代オリンピック」の違いって?

POINT
  • どちらも4年に1度開催される競技大会である。
古代オリンピック古代ギリシアを中心に行われていた、祭神ゼウスに捧げるための宗教行事
近代オリンピック世界各国で行われる、平和と友好の祭典

ギリシャのパルテノン神殿

オリンピックの概要

古代オリンピック

古代オリンピック競技場跡地(ギリシア)

古代オリンピック競技場跡地(ギリシア)

古代オリンピック(オリンピア祭典競技ともいう)は4年に一度行われる競技大会で、祭神「ゼウス」に捧げるための祭典(宗教行事)である。古代ギリシアのエーリス地方・オリンピアで始まり、1169年(紀元前776年~紀元後393年)もの間続いた。

当時の古代ギリシャでは都市間の争いが絶えなかった。しかし、オリンピックは聖なる祭典とされていたため、期間中の争いは神に背くものとして一切の争いを禁じた。祭典の数か月前からギリシア全土に使者が休戦を触れ回り、移動期間なども含めて最長で3か月も都市間の争いが休戦されるほど大切な祭典だった。

開催当初の参加資格は、ギリシャ人であることや犯罪歴がないことなどいくつか設けられていた。また、ゼウスが男神だったため女性の参加は認められていなかった。

参加者や指導者は裸であることが慣例だったといわれている。これは不正を防ぐだけではなく、神に最も美しい姿を捧げるという意味も込められていた。優勝者にはオリーブの冠が授与された。

第1回の競技はスタディオン走という約200mの短距離走のみだったが、開催されるにつれ競技が増え、最盛期には13競技ほどあったといわれる。

近代オリンピック

古代オリンピック終焉から約1500年後に復活した、全世界で行われる最大の競技大会である。オリンピックまたは五輪と呼ばれる。

IOC(国際オリンピック委員会)とNOC(国内オリンピック委員会)という非営利国際団体によって運営され、4年に一度選ばれた国の都市で開催される。開催都市は立候補した国や地域(NOCに加盟が必要)の中から投票によって決定する。全世界さまざまな場所で行われている。

夏季と冬季オリンピックがそれぞれ4年に一度あり、2年ずらして開催されるため、実質的には2年ごとに開催されていることになる。

競技数はその年によって変わり、2016年リオデジャネイロオリンピック(夏季)では28競技306種目が行われた。競技の順位に応じて、金(1位)・銀(2位)・銅(3位)のメダルが授与される。

古代・近代オリンピックの比較
古代オリンピック近代オリンピック
開催年紀元前776年~紀元後393年1896年~
頻度4年に1度夏季 4年に1度
冬季 夏季の2年後で4年に1度
開催回数293回31回(2016年)
場所古代ギリシアのオリンピア立候補した都市から投票で決定
参加地域ヘレニズム文化圏
(ヨーロッパ、中近東、アフリカ北部)
全世界
参加者ギリシアの自由市民の男子のみ各競技で選抜された男女
日数1日間(第1回)
5日間(最盛期)
17日間
日程8月から9月にかけての満月の日を中心に開催特に決まりはなし
競技最初は1種目、最盛期は13夏季:28競技306種目(2016年)
冬季:7競技、98種目(2014年)
服装全裸定められたユニフォーム
開催目的ゼウスに捧げる祭典平和と友好の祭典
表彰優勝者にはオリーブの葉冠
神域への彫像設置
オリーブの葉冠
1位:金メダルと賞状
2位:銀メダルと賞状
3位:銅メダルと賞状
4位から8位:賞状
メダル

行われる競技

古代オリンピック

古代ギリシャの競技者をイメージした切手

第1回から第13回まではスタディオン走(約190mのコースを走る短距離走)1種目のみが行われ、最盛期は13種目にまで増える。

競技に団体競技はなく個人競技のみで、ディアウロス競争(中距離走)・ドリコス競争(長距離走)・ペンタスロン(五種競技)・レスリング・ボクシング・パンクラティオン(レスリングとボクシングを合わせたようなもの)・戦車競技などが行われた。

競技参加者は裸で競技を行うのが慣例で、最強といわれたスパルタ出身の軍団がはじめたことが起源といわれている。

近代オリンピック

夏季大会(2016年)は28競技306種目、冬季大会(2014年)は7競技・98種目の競技が行われた。

夏季大会では陸上、水泳、サッカー、テニス、バレーボールなど、冬季大会ではスキー、スケート、ボブスレー、バイアスロンなどの雪や氷などの季節に行われる競技が主である。

大会プログラムに認定される競技は大会ごとに検討され、プログラムから外れる競技や加わる競技もある。

オリンピックの目的

古代オリンピック
ゼウスの彫刻

ゼウスの彫刻

平和の祭典である現代のオリンピックとは異なり、古代オリンピックは宗教行事としての役割が大きかった。

古代ギリシアの信仰の神であるゼウスに捧げる祭典であり、優勝者は神に選ばれた人間として扱われた。優勝者が自身の都市に帰ると、その人を称えることで神々の恩恵にあずかろうとした人々から様々なものが与えられた。

男神であるゼウスの神殿に捧げる祭典だったことから女人禁制であった。その代わり、女性の間ではゼウスの妻ヘラに捧げる「ヘライア祭」が行われていた。

現代まで続く4年に1度という周期の始まりは諸説あるが、太陰暦に関係しており儀式的な要素が強い。元々の8年周期から半分の4年に定まったといわれ、古代において重要な意味を持っていたといわれている。

近代オリンピック

創設者であるクーベルタン男爵「スポーツを通して心身を鍛えながら友好を深め、平和な社会の建設に貢献する」という理念のもと、オリンピックの復活を提唱した。この理念をオリンピズムといい、現在も大切にされている。

友好と平和を目的としているため、過去には戦争のペナルティとして参加できない国があった。

参加単位はNOCごとだが、競技は国対国の対抗ではなく、個人やチーム単位を意識しなければならない。あくまでも平和の祭典としてナショナリズムの行き過ぎに注意している。

クーベルタン男爵は、非営利の祭典を理想とし、各競技のプロの参加を禁止したが、現在はその規定はゆるくなっている。

オリンピックの歴史

古代オリンピック
オリンピア遺跡

オリンピア遺跡

起源はギリシア神話として神話化されているほど古く、諸説ある。

記録に残っているものでは、紀元前776年から紀元後393年までの1169年間、4年に1度の293回行われたとされている。

古代オリンピックは、当時ギリシアで行われていた4大祭典(※)の中のひとつで、最も盛大かつ歴史の長いものであった。

オリンピア大祭(祭神:ゼウス)、ネメアー大祭(祭神:ゼウス)、イストモス大祭(祭神:ポセイドン)、ピューティア大祭(祭神:アポロン)の4つ。

近代オリンピックとは違い、競技を神に捧げることを目的として始まった。開催期間は、第1回(紀元前776年)から第13回(紀元前728年)まではスタディオン走1種目の1日だけの祭典だった。紀元前472年には5日に延び、競争だけでなくさまざまな種目が追加されていった。

次第に規模が大きくなり、オリーブの冠や名誉だけでなく褒賞金なども与えられるようになった。しかし、褒賞金目当ての参加者や競技を賭け事に使う人々が増え、大会の神聖さが失われ徐々に衰退していった。

紀元前275年にはローマ帝国(イタリアを中心とした帝国)がギリシアを支配した。更に313年、キリスト教の普及でローマ皇帝のコンスタンティヌスがキリスト教を公認。392年には皇帝オドシウス1世がキリスト教を国教化、異教徒禁止例を出す。ご神体として祀られていたゼウスは、異教徒禁止令に伴い神殿が壊され、長く続いたオリンピアの祭典も幕を閉じた。

近代オリンピック

フランスの教育学者であるクーベルタン男爵(1863ー1937)の呼びかけによって、古代オリンピックの終焉から約1500年後に復活した。

クーベルタン男爵は、1894年6月23日にパリ大学で開かれた国際会議「パリ・アスレチック会議」において、オリンピックの復活を提唱。オリンピックはスポーツを通して平和と友好を図るものとして、IOC(国際オリンピック委員会)を発足した。

1896年、オリンピックの第1回大会がギリシャのアテネで開催された。第2回のパリ大会からは女性の参加も認められ、現在では参加人数の男女差はほとんどない程になっている。

それまでは個人やグループ単位での出場だったが、1908年のロンドン大会からNOC(国内オリンピック委員会)が発足し、国や地域単位での参加に変わった。

1914年にはIOC20周年の式典が行われ、五輪のシンボルマークが初お披露目される。

1924年には冬季オリンピックが独立し、フランスで第1回冬季大会が始まる。

1936年のベルリン大会で開会式での定番でもある、「聖火リレー」が初めての登場。

1994年の冬季ノルウェー大会から、冬季が夏期の2年後になるよう変更される。

第一次世界大戦でベルリン大会が中止されたり、第二次世界大戦では東京大会とロンドン大会が中止されるなど、戦争や政治的なトラブルなどの困難も数多くありながら、現在に至る。