「浮世絵」と「錦絵」の違いって?
浮世絵(うきよえ) | 江戸時代に流行った風俗画のこと。時代が進むにつれて技術が向上したため、色々なタイプの浮世絵がある。 |
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錦絵(にしきえ) | 浮世絵の一種。多色刷りの木版画のこと。それまでの浮世絵にはなかった華やかさがある。 |
記事の目次
浮世絵と錦絵の違い
錦絵は浮世絵の一種
結論からいうと、錦絵は浮世絵の一種である。そこで今回は簡単な浮世絵の歴史を説明し、錦絵の特徴を見ていくことにする。
そもそも浮世絵とは主に江戸時代に流行した、現実の世界を描いた絵のことをいう。それまでの肯定的に捉えようとする思想から生まれた。
そして浮世絵は、2つに大別することができる。
- 木版画:版画で刷られた絵のこと
- 肉筆画:直接紙に描かれた絵のこと
浮世絵の歴史
創始
浮世絵を創始したのは、菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ)といわれている。江戸時代初期、菱川は「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれる、墨一色で刷られた木版画を制作した。
なお、菱川の代表作『見返り美人』は有名だが、これは肉筆画である。浮世絵といえば木版画のイメージを強く持つ人もいるかもしれないが、実は肉筆画のほうが歴史は古い。
とはいえ、肉筆画は浮世絵師が一枚ずつ描くものである。非常に高価だったため、庶民には手が届かなかった。
一方で木版画は大量生産が可能なため、蕎麦一杯くらいの値段で販売されていた。よって、庶民でも浮世絵を楽しめるようになったというわけである。
カラー化
その後、「丹絵(たんえ)」や「紅絵(べにえ)」といった、カラーの浮世絵が誕生する。といっても、これらは墨摺絵に筆で色を付けて制作されるものであった。
紅摺絵の登場
江戸中期になると、版を用いて彩色がなされるようになった。これを「紅摺絵」という。紅摺絵は、墨摺絵に色を付けた版を摺り重ねて制作する。もととなる版に「見当」というしるしを彫っておき、ズレないようにそれに合わせて重ねていく。「見当違い(判断や方向を誤ること)」の見当は、これが由来だと言われている。
この技術はカラーの浮世絵の大量生産を可能とした、非常に画期的なものであった。しかし使われている色の数は少なく、華やかではなかった。
錦絵の登場
1765年、浮世絵師の鈴木春信や摺師・彫師らによって、多色刷りの華やかな木版画が誕生した。これが「錦絵」である。
錦(金色の糸などを使い、美しい模様に織られた絹織物)のように美しいことから、「錦絵」と呼ばれるようになった。
1780年頃以降になると、浮世絵版画はほぼこの手法で制作されるようになる。そのため江戸後期から明治時代には、浮世絵版画と錦絵はほぼ同じ意味として使われていた。つまり、錦絵は浮世絵の代名詞となったのである。