「マラソン」と「駅伝」の違いって?
マラソン | 42.195kmのすべての距離を一人で走る個人種目。紀元前のマラトンの戦いが起源。 |
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駅伝(駅伝競走) | 正式な距離は決められていない。複数人がリレー形式で走る団体種目。大正時代の日本が起源。 |
記事の目次
マラソンと駅伝の違い
マラソンと駅伝(駅伝競走の略)はどちらも長距離を走る陸上競技であり、所要時間で勝敗を決める点は同じである。しかしマラソンと駅伝は走る距離および走者の人数、起源などについて違いがみられる。
走る距離・走る人数
マラソンの公式競技距離は42.195kmだ。全行程を一人で走りきる個人種目である。他にもマラソンの半分にあたる21.0975kmの距離を走るハーフマラソンなどがある。このハーフマラソンに対し、公式競技距離を走るマラソンはフルマラソンとも呼ばれる。
一方で駅伝には公式競技距離はない。ただし全行程をいくつかの区間に分け、複数人によるリレー形式でタスキをつないで順位やタイムを競う団体種目である。なお、タスキの受け渡す場所を中継所と呼ぶ。走者の中継所到着が著しく遅れた場合は、次の走者がタスキを受け取ることなくスタートする「繰り上げスタート」というルールがある。
駅伝大会 | 距離 | 区間(走者の人数) |
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箱根駅伝 (正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走) | 217.1km | 10区間 |
ニューイヤー駅伝 | 100km | 7区間 |
出雲駅伝 | 45.1km | 6区間 |
起源
マラソンと駅伝の起源の違いは以下の通りである。
マラソンの起源
マラソンの起源はかなり古く、紀元前490年までさかのぼる。ペルシア戦争中のマラトンの戦いにおいて、アテネ軍は侵入してきたペルシア軍を撃破した。その勝利を伝えるべく、一人の兵士がマラトンからアテネまでの約40kmを走り、報告後に息絶えたという。
この故事にちなみ、マラソンは第1回目の近代オリンピック(1896年)から正式種目に採用されている。
マラソンの正式距離が42.195kmになった理由
42.195kmが公式競技距離となったのは、第8回パリオリンピック(1924年)からである。それ以前までは40kmを目安とし、公式な距離は決められていなかった。そのうち最長距離は、第7回大会のアントワープオリンピックの42.75kmだ。
現在の42.195kmとなったきっかけは、第4回大会のロンドンオリンピック(1908年)とされる。当時のイギリス王妃アレクサンドラからのリクエスト説が有力だ。スタートは王室の子ども部屋から見えるようウィンザー城東側の宮廷に、ゴールはスタジアムで王妃が座るロイヤルボックス席の前に、というものである。
駅伝の起源
駅伝は大正時代、日本で誕生した競技だ。きっかけは日本初のオリンピック選手で、日本の「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三(かなぐりしぞう)の呼びかけによる。世界で戦える長距離選手を育成するために、駅伝は誕生した。ただし近年では、駅伝ではマラソン選手は育たないという指摘もある。
日本初の駅伝は1917年、京都の三条大橋と東京の上野不忍池をつないだ「東京奠都(てんと)五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」だ。516kmもの距離(23区間)があったため、走りきるのに3日間かかった。
まとめ
マラソン | 駅伝 | |
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公式競技距離 | 42.195km | 決まっていない |
走者の数 | 1人 | 複数人 |
起源 | 紀元前490年マラトンの戦い →近代オリンピック第1回大会から採用 | 大正時代の日本 →世界で戦える長距離選手の育成のため |