「空海」と「最澄」の違いって?

POINT
空海(くうかい)/弘法大師(こうぼうだいし)真言宗の開祖。高野山金剛峰寺を開いた。唐へは一般的な学僧として渡り、密教を学ぶ。古い仏教とは協調的な立場であった。
最澄(さいちょう)/伝教大師(でんぎょうだいし)日本天台宗の開祖。比叡山延暦寺を開いた。唐へは特別な身分として渡り、法華経を学ぶ。古い仏教とは対立的な立場であった。

東寺

空海と最澄の違い

空海(くうかい)と最澄(さいちょう)はどちらも、平安時代初期に活躍した僧である。唐(現在の中国)に渡り、帰国後はそれぞれの宗派の開祖となった点でも共通している。

唐への留学時の身分

空海と最澄が唐へと渡ったのは、ともに804年のことである。当時の二人はまったく異なる身分であり、面識もなかった。

その他大勢の一人だった空海

空海は留学生(るがくしょう)という、一般的な学僧として入唐した。学費はほぼ自費で、留学期間は最低でも10年以上とされていた。にもかかわらず、空海はわずか2年で帰国する。当然入京(都に入ること)は許されず、4年ほど九州の大宰府(福岡県)に留め置かれた。

空海

空海(774-835)

すでにエリートだった最澄

最澄は還学生(げんがくしょう)という、特別な身分で入唐した。学費は国が負担、留学期間も短期で、さらに通訳も付いた。この頃すでに最澄は、桓武天皇から信任を得ていたためである。

最澄

最澄(767-822)

唐で学んだもの

空海は長安(現在の西安)に入り、青竜寺の恵果(けいか)(※1)から大日如来(だいにちにょらい)を本尊(※2)とする秘密の教え「密教」を学ぶ。わずか3カ月で密教の最高位・阿闍梨(あじゃり)を授かり、密教の後継者の一人になった。

1 3代にわたって皇帝から信任を得ていた高僧。国師と仰がれていた。

2 宗教において最も大切な信仰対象として扱われるもの。

最澄は仏教の名山・天台山(現在の浙江省東部)に入り、仏教の経典の中でも重要な経典の一つ「法華経(ほけきょう)」を学ぶ。密教も学んだが、1年後の帰国が決まっていたため、本格的には学べなかった。

帰国後の空海と最澄の関係

唐では面識のなかった空海と最澄だが、帰国後に交流が始まった。最澄は本格的に密教を学ぶため、身分の低い空海に弟子入りをする。ところが思想的な違い、最澄の弟子が空海のもとに行ったまま帰ってこないこともあり、二人は決別した。

主な功績

空海は真言宗の開祖となり、生きながらにして仏になる「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」は可能と説いた。高野山金剛峰寺を開き、嵯峨天皇(さがてんのう)より京都に教王護国寺(東寺)を賜(たまわ)る。空海は両寺を拠点とし、真言宗の布教に努めた。

東寺(京都)

東寺(京都)

最澄は日本天台宗の開祖となり、すべての者が仏になれる「一切皆成仏(いっさいかいじょうぶつ)」を説いた。最澄の開いた比叡山延暦寺は仏教教学の中心へと発展し、のち浄土宗や日蓮宗といった鎌倉新仏教の指導者たちを生む。

比叡山延暦寺 阿弥陀堂(滋賀)

比叡山延暦寺 阿弥陀堂(滋賀)

諡号(しごう)について

空海は弘法大師(こうぼうだいし)、最澄は伝教大師(でんぎょうだいし)とも呼ばれる。これらは諡号(しごう)といい、生前の行いをたたえるために死後に贈られる名前である。

南都仏教との関係

空海の真言宗と最澄の天台宗は、「平安仏教」と一括りにされることがある。平安仏教と引き合いに出されるのが「南都仏教」である。は奈良時代に平城京で隆盛した仏教で、具体的には以下の6つの宗派がある。

  1. 法相(ほっそう)宗
  2. 華厳(けごん)宗
  3. 倶舎(くしゃ)宗
  4. 三論(さんろん)宗
  5. 成実(じょうじつ)宗
  6. 律宗(りっしゅう)
平城宮跡(奈良)

平城宮跡(奈良)

一般的に宗派というと、信仰を異にする集団を意味する。ところが南都仏教における「○○宗」は、仏教教学を研究する集団(学派)である。南都仏教は平安仏教やそれ以降の仏教とは異なり、信仰よりも研究を重視していた。

空海は南都仏教と協調を保っていたが、最澄は南都仏教と教義をめぐって対立した。最澄は過去に、限られた者しか仏になれない(※3)とする南都仏教の教義を学ぶも、満足できず比叡山にこもった経験がある。

3 後に最澄はすべての者が仏になれると説いた(【主な功績】を参照)。

最澄は唐からの帰国後、僧侶に大乗仏教の戒律(守らなければならない規則)を授ける「大乗戒壇(だいじょうかいだん)」(※4)を比叡山に設立することを奏上(申し上げること)した。南都仏教はこれに反発し、最澄と南都仏教はたびたび論争を起こしている。

4 最澄は、限られた者しか救われない戒律を授ける従来の戒壇を「小乗戒壇(しょうじょうかいだん)」とした。

嵯峨天皇により大乗戒壇設立の勅許(ちょっきょ:許可のこと)が下されたのは、最澄の死後7日目のことであった。

まとめ

空海(774~835)最澄(767~822)
諡号弘法大師伝教大師
留学時の身分留学生(低い身分)還学生(エリート)
唐で学んだもの密教(阿闍梨を授かる)法華経・密教(不完全)
開宗した宗派真言宗天台宗
総本山高野山金剛峰寺/教王護国寺(東寺派)比叡山延暦寺
南都仏教との関係協調的対立的