「ヤルタ会談」と「マルタ会談」の違いって?
POINT
ヤルタ会談 | 1945年にクリミア半島のヤルタで行われた、歴史的首脳会議のこと。冷戦の発端となった。 |
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マルタ会談 | 1989年に地中海のマルタ島で行われた、歴史的首脳会議のこと。冷戦の終結が宣言された。 |
記事の目次
ヤルタ会談とマルタ会談の違い
「ヤルタ会談」と「マルタ会談」はいずれも、歴史的意義の大きい首脳会議のことである。
開催時期
まず両者は、開催時期が40年以上も違う。ヤルタ会談がクリミア半島(旧ソ連/現ウクライナ)の保養地・ヤルタで行われたのは、1945年2月のことである。
他方でマルタ会談が地中海のマルタ島(現マルタ共和国)で行われたのは、1989年12月のことである。
参加国・会談の内容
ヤルタ会談
ヤルタ会談に参加した国は、下記の三か国である。
- アメリカ(ルーズベルト大統領)
- イギリス(チャーチル首相)
- ソ連(スターリン首相)
第二次世界大戦末期に開催されたこの会談では、
- ドイツの戦後処理(分割統治・賠償など)
- ポーランドを巡る問題(国家の再建・国境確定など)
- 国際連合の創設
などが話し合われ、ヤルタ協定が結ばれた。また、ソ連の対日参戦、千島・南樺太領有に関する秘密協定も結ばれた。この会議の中では、欧州における利害を巡る対立も起こり、東西冷戦の発端となった。
【参考】ドイツの分割
ヤルタ会談後、ドイツは米・英・仏・ソ連によって、分割占領されることになった。さらに首都・ベルリンも、これら四か国によって分割管理された。
出典:en:User:52 Pickup「ドイツの位置」(CC BY-SA 2.5)
マルタ会談
他方でマルタ会談に参加した国は、下記の二か国である。
- アメリカ(ブッシュ大統領【父】)
- ソ連(ゴルバチョフ書記長)
東欧諸国の民主化や、ベルリンの壁崩壊といった事態の中で開催されたこの会談では、
- 東西冷戦の終結宣言
- 米ソ新時代到来の確認
が行われた。すなわち東西冷戦は、この会談を持って終わったのである。
まとめ
ヤルタ会談 | マルタ会談 | |
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開催時期 | 1945年2月 | 1989年12月 |
開催地 | クリミア半島のヤルタ | 地中海のマルタ島 |
参加国 | アメリカ・イギリス・ソ連 | アメリカ・ソ連 |
会談の内容 |
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歴史的意義 | 東西冷戦の発端 | 東西冷戦の終結 |